衆議院議員 岸本周平 Shuhei Kisimoto Official Website

2014年03月

第6回沖縄国際映画祭

(沖縄国際映画祭、那覇国際通りのレッドカーペットで宮川たまこさんと。)

 今年も、沖縄国際映画祭の季節がやってきました。第6回目の映画祭は、3月20日(木)から24日まで開催されます。

 私は、国会日程などをやりくりして、22日(土)、23日(日)の二日間、行ってきました。

 土曜日は、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター付近と浦添市の会場に。今年の特徴は、宜野湾市だけでなく、北谷町、沖縄市など、会場が県内全域に広がっていったことです。

 短編映画の制作や物産品の販売などは県下の41市町村が全部参加しています。

 映画祭の副題も「島ぜんぶでおーきなこと」とあり、命名は地元の子どもたちだとのこと。

(宜野湾市の会場。)

 映画祭ですが、「OKINAWA KAWAII」のファッションショーなどもあって、会場は大勢のお客さんでごった返していました。

 イベントだけでなく、日本のエンタテインメント産業とアジアをつなぐ国際見本市、交易会の機能も発揮するようになってきました。

 何事も継続は力なり。6年続くことで、地元の沖縄県民の皆さんに受け入れられていることが良くわかりました。

 その象徴が日曜日の那覇市内、国際通りでのレッドカーペットでした。

(国際通りのレッドカーペットのスタート地点にて。)

 映画祭の応援隊長、沖縄出身の吉本芸人「宮川たまこ」さんと映画祭実行委員長の大崎洋吉本興業社長が握手でレッドカーペットの参加者を送り出します。

 映画スターや、監督、お笑い芸人さんに加えて、地元の皆さんが大勢レッドカーペットの上を歩きます。

 これが沖縄映画祭の特色です。来年、統合されて廃校になる小学校の卒業生や、商店街のオジサン達。

 にぎやかに練り歩いていました。

( 「OKINAWA KAWAII」のファッションモデルさん。)

 最後に、大崎洋社長と翁長雄志那覇市長のごあいさつで締めくくり。

 歩く方も、見ているファンも皆さん笑顔のパワフルな会場に、勇気をいただきました。

 経産省メディアコンテンツ課長以来、エンタテインメント産業の振興が、ライフワークの一つになっています。

 2年前の経産省の大臣政務官時代、エンタテインメント産業の海外進出のためのコンテンツファンドのアイデアを育てました。法案は、野党になった昨年成立。コンテンツを輸出して、日本がメシを食う時代にしたいものですね。

(大崎洋社長のごあいさつ。)

「国家はなぜ衰退するのか」

(ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン著、「国家はなぜ衰退するのか」、早川書房、2013年)

 昨年のベストセラー、ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン著、「国家はなぜ衰退するのか」をようやく読了。

 東京―和歌山の往復の移動時間を使いました。

 豊かな国と貧しい国の発展過程の違いを、二人の著者は「制度」に求めます。

 伝統的には、国家が繁栄するかどうかは、地理的な理由、または文化の違いや統治者が正しい政策を知っているかなどの理由で説明されてきました。

 しかし、著者は絶対主義で収奪的な制度から民主的で包括的な制度に移行できたかどうかが、問題だと言います。

(注)翻訳者は包括的(inclusive)という訳語を用いていますので、そのまま使っていますが、inclusiveは「包摂的」と訳した方がわかり易いのではないかと思います。

 「自由な言論に支えられた民主政治と、自由で開放的な市場経済という制度セットこそが、創造的破壊を伴う経済成長の安定した継続を可能とする。」(「国家はなぜ衰退するのか」下、pp.288)

 そのきっかけは、多元主義に基づき、政治権力が社会に広く行き渡ることであり、1688年のイングランド名誉革命、1789年のフランス革命、1868年の明治維新が成功例だとされています。私は明治憲法下で大正デモクラシーによる複数政党政治が可能になったのも、多元的で包括的な政治制度のおかげだと考えます。

 欧米の植民地が独立を果たした時に、すでに完成されていた「収奪的な経済制度」を引き継いだ政権が「収奪的な政治制度」となり、貧困を助長した事例がたくさん出てきます。

 中南米でも、また、南北戦争後のアメリカ合衆国の南部ですら、一部の政治エリートが収奪的な政治制度の下、国民の貧困を放置し、経済の低成長に苦しみます。

 明治維新を起こした先達たちも、もがき苦しみながら、政治改革を繰り返しながら、包括的な政治制度を構築してきました。私たちの繁栄は、その時の、僥倖のおかげです。

 一方で、ソ連や中国のような、収奪的な政治制度の下では、中期的には経済成長も可能ですが、創造的破壊が起こらないため、長期的には成功しないと著者は指摘しています。

 現実に、ソ連は崩壊ましたし、著者は中国の未来にも悲観的な態度を取っています。

 中国の未来はオープンクエスチョンにしておきますが、この本のインプリケーションは、日本としても、多元主義の包括的な政治制度を維持し、創造的破壊が持続する経済制度を育てていくしかないということです。

 その意味でも、政府が民間活動に介入する「国家社会主義的」なアベノミクスには、一日も早く終止符を打つよう努力しなければなりません。

(ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン著、「国家はなぜ衰退するのか」、早川書房、2013年)

日米関係の基本政策



 日米関係の基本として、サンフランシスコ講和条約によって生み出された戦後の国際秩序を尊重することが重要です。

 私自身は、昔から靖国神社には参拝していますし、地元では護国神社に参拝します。それはまったくの私人としての行動です。日本政府を代表する内閣総理大臣の立場は異なります。

 東京裁判については、サンフランシスコ講和条約第11条において、日本政府はそれを受け入れています。したがって、東京裁判で判決を受けたA級戦犯が合祀されている靖国神社への内閣総理大臣の参拝は許されないことであると考えます。

 昭和天皇も、靖国神社へのA級戦犯合祀の議論が始まった1975年からは靖国参拝を控えられ、78年に合祀、79年にそのことが発表されてから、一度も参拝されていません。平成天皇もその姿勢を引き継がれています。

 私は、歴史修正主義の立場を明確に否定します。したがって、河野談話、村山談話、小泉談話なども明確に踏襲します。

 今の安倍内閣は軌道修正をしているように見えていますが、いささか危なっかしい思いがします。

 戦後の日本社会が育ててきた成熟した民主主義を守っていくことが何より重要で、そのためにも価値観の多様性を認める穏健な保守(リベラル保守)の政治勢力を育てなければなりません。

 伝統的かつ真摯な歴史認識は、かつて敵同士として戦った後、半世紀を超える同盟国となった米国との友好関係の基礎となってきました。

 米国がリバランス政策を採る中、日米同盟をいかに深化させていくべきか、真剣に考えるべき時です。

 現在日米当局間で議論している防衛ガイドライン、核不拡散の取り組み、TPPを含めた自由貿易体制の推進など、私たちが共に働くべき課題は、無限に広がっていると信じます。
 
 同時に、私たちは近隣諸国との間で、正しい歴史認識に基づき、信頼醸成に努めます。今日のアジアがパワーバランスの変化を反映したむずかしい状況にあることは否定しませんが、私たちは隣人であり、共に生き、共に栄える以外の選択肢はないのです。

 中国との戦略的互恵関係、韓国との重要なパートナーシップ関係樹立に向け、未来志向で努力していくべきです。

応援団の国会見学

(議員食堂での食事風景。)

 永田町での国会議員の仕事は、分刻みで、あわただしい毎日です。

 昼食も、たいていは会議がセットされていますので、お弁当ですませることがほとんどです。新しい議員会館にはコンビニが入ったおかげで、時間のない時は、おにぎりやサンドイッチをほおばっておしまい。

 しかし、地元から応援団の皆さんが国会見学に来てくださった時などは、議員食堂で一緒に食事をする時もあります。普段、議員食堂で食べることはまずありませんね。

 名物は上カレーライスやオムライス。普通の定食もありますが、カレーの方が値段も高いのが特色。たしかに、上カレーライスはルーも一味違いますし、生卵が一個付いてきますので、昔風で美味しいです。

 わざわざ、二泊三日のツアーを組んで来ていただいた皆さんと、ゆっくりお話できました。

 ただし、選挙違反にならないように、割り勘でお願いしています。ひと昔前なら、お客さんにはご馳走した時代もあったのでしょうが、今は、申し分けないのですが、割り勘です。



 食事の後は、国会議事堂の中をご案内します。

 中学校の修学旅行生は、国会ツアーの見学コースに沿って回ります。いつも、見学出発前に必ずごあいさつしうるのは、このブログでも何度も紹介しています。

 個別に私の事務所に来ていただく場合は、議員本人なり議員秘書が一緒に回りますので、見学コース以外の場所にもご案内できます。

 もちろん、実際に使用されている会議室などは無理ですが、手続きをすれば、委員会や本会議の傍聴も可能です。

 ぜひ、国会見学にお越しください。見学もさることながら、現場で、政策論議の相手も務めさせていただきます。

(中学の修学旅行生へのごあいさつ)

東日本大震災三周年追悼式

 昨日、政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」に参列しました。

 三年前の今日、巨大地震とそれに伴う津波によって、二万人を超す死者、行方不明者が生まれました。

 今なお、多くの被災者が被災地や避難先で困難な暮らしを続けています。また、原子力発電所の事故が発生し、多くの人々が住み慣れた地域から離れて生活されています。

 政治家として、復興に取り組んできましたが、そのスピードは遅々としています。与野党の壁を越え、さらに復興のための努力を続ける決意を再確認する機会になりました。

 御霊の安らかならんことをお祈り申し上げます。

 天皇陛下のお言葉を下記に記します。政治家として、拳拳服膺いたします。

『本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同とともに震災によって失われた人々とその遺族に対し改めて、深く哀悼の意を表します。

三年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は二万人を超す死者、行方不明者を生じました。今なお、多くの被災者が被災地で、また、避難先で困難な暮らしを続けています。

さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと、心が痛みます。

この三年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き、様々な形で尽力していることを心強く思っています。

被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います。そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。被災地に一日も早く、安らかな日々が戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。』

(時事通信HPより転載。)
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