衆議院議員 岸本周平 Shuhei Kisimoto Official Website

2014年01月

民主党の進むべき道ーその3

(5)経済成長戦略を考え直す

 安倍内閣の今の成長戦略は、7年前の第一次安倍内閣当時の政策の焼き直しに過ぎません。民主党政権時代の成長戦略も内容的に大きな違いはありません。

 経済を成長させるのは、あくまでも民間経済主体です。そろそろ、政府主体の政策で経済を成長させることができるという幻想を捨てるべき時期ではないでしょうか?

 2013年の経済成長の内容も、財政のバラマキによる公共事業と、消費税率引上げ前の住宅投資の駆け込み需要が中心です。

 政府は、法人税率の引下げや規制緩和によって企業の活躍の場を提供することに徹すべきで、補助金や租税特別措置などで官僚の仕事や権限を増やすことは止めるべきです。

 あえて言えば、「企業は人なり」ということで「人材」をどう育てるかが重要です。

 日本は、先進国の中では、性、年齢、障がいの有る無しなど自分の努力ではどうしようもできないことで差別されることの多い国です。この壁を打破することで、一人一人が経済活動の面でも「居場所と出番」を得られるようにすることが、人材を育てることになるはずです。

 たとえば国会議員の女性クオーター制導入、定年制の廃止、障がい者雇用の抜本的見直しなどが政策ツールとして考えられます。

 正規、非正規を問わず「同一労働同一賃金」にし、社会保険適用の差も無くします。また、配偶者控除や基礎年金の第三号被保険者問題などに真正面から挑戦すべきです。

 そして、外国からの留学生を増やし、大学や大学院卒業生には、条件付きで「永住権」を与えるなどのインセンテイヴを与えて、日本企業への就職を後押しします。日本の学生も刺激を受けて能力が高まるはずです。

 このような基礎的な社会インフラを変えていくことが、真の経済成長戦略であり、それは政府にしかできないことなのです。

(6)財政再建と社会保障

 日本の財政は、既に危機的な状況に陥っています。毎月発行される国債の7割を日本銀行が買い支える財政ファイナンスを行ってようやく国債の低金利を維持しているに過ぎません。

 せっかっくの消費税の税率引上げも安倍内閣の財政バラマキによって効果を相殺され、10%への引上げを見送るようなら市場からの反乱を覚悟しなければならない状況です。  

 また、経済成長のためにも財政再建が必要です。有名なラインハートとケネスの論文によれば公的債務負担がGDPの90%を超えると、経済成長率を押し下げるとの結果が出ています(推計に技術的なミスがあったものの、大勢は変わらないという評価)。

 財政再建のためには、年々自然増が見込まれる社会保障をスリム化する以外に道はありません。本当に困っている方々への社会保障給付は充実すべきですが、一般的な部分は削減するメリハリが必要です。

 給付付き税額控除を勤労促進的な生活保障制度として導入し、最低保障年金と組み合わせることなどこれまでの民主党の政策を推進する一方で、各種の自己負担はその比率を引上げざるを得ないことを国民に訴えるべきです。

 景気が良くなって税収が増えれば、財政再建は可能などという不誠実な説明が通用する事態ではもはやないのです。

民主党の進むべき道ーその2



2。政策のバックボーン
(3)積極的平和主義にどう向き合うか

 安倍内閣が打ち出した「積極的平和主義」の定義が明確ではないが、外交安全保障のブレーンである北岡伸一国際大学学長の説明によれば以下の通りです。

 積極的平和主義とは、「50年代からの政府開発援助、92年からの国連の平和維持活動(PKO)への参加、その後の人間の安全保障概念による世界の貧困の克服などへの貢献をさらに充実させ、しかも日本単独ではなく国際協調の枠組みで行うこと」だと。

 積極的平和主義がそのようなものだとすると、民主党として反対する理由はないことになります。

 昨年12月4日に発足した国家安全保障会議(日本版NSC)は民主党政権時代に設立を閣議決定していたものであり、民主党は法案に賛成しました。

 同年12月17日の「国家安全保障戦略」と「新防衛計画の大綱」の評価に関しても、愛国心問題など議論の余地のある部分がいくつかあるにしても、民主党政権時代からの流れを引き継ぐものであり、総体的に理解できます。

 結局、個別の政策毎に判断すべきことであって、積極的平和主義に関して議論することは実益のあることではないことがわかりました。

(4)国際標準からの逸脱を避ける

 安倍内閣の問題点は、「積極的平和主義」というような美辞麗句を使いながら、現状では二つの点で国際標準から逸脱していることです。

 一つは、安倍総理の靖国神社参拝にみられるように、サンフランシスコ平和条約によって構築してきた戦後国際秩序への挑戦、つまり歴史修正主義の立場をとっていることです。そのことは、韓国、中国の反発に止まらず、今回初めてアメリカ、欧州、ロシアなどからも厳しい批判がなされたことで明らかです。

 二つは、特定秘密保護法に明らかなように、外交安全保障の秘密保護と国民の知る権利のバランスを取るための国際ルールであるツワネ原則に則っておらず、国連高等弁務官から批難されるくらい国際的に孤立していることです。

 国民の関心がアベノミクスに集中し、内向き志向の中で、この2点を訴求することが難しかったことは事実ですが、この点をいかにして国民に理解してもらえるかが、外交安全保障政策の鍵だと考えます。

民主党の進むべき道ーその1



 2014年がスタートしました。2月8日、9日には民主党大会が開催されます。

 今、民主党の支持率はどん底で、国民からの期待感はまったくありません。しかし、今年で18年目に入る政党として、これまでも幾多の試練を乗り越えてきた政党として、もう一度、再起を賭けて勇気ある一歩を踏み出すべきです。

 今後の民主党の進むべき道について、シリーズで私見を述べてみたいと思います。

1。民主党の立ち位置

 タカ派色を鮮明にしている自民党政権に対して、民主党の立ち位置を明らかにしなければ国民の支持を得られないことは明らかです。

 1998年綱領にあった「民主中道」の理念を再確認すべきです。

 この言葉の持つ意味は重いのです。1996年に民主党が立ち上がった後、いわゆる保守リベラル、市民リベラル、社民リベラルの三つのグループが合流したのが1998年です。

 その際の理念や政策の違いをすり合わせるのには長い時間と大きなエネルギーを必要としました。その結果生まれた言葉が「民主中道」です。

 タカ派の保守政党に対して、いわばハト派の保守政党としての立場を明らかにすることで、国民に選択肢を持っていただけます。そのために党内のコンセンサスをつくっていくには「民主中道」の旗が重要です。

 2012年綱領を改正して「民主中道」の政治理念を再度書き込むことを提案します。

(注)ブレアが長く政権を維持し得た理由は、本来労働党の強い支援者である層を固めたからではなく、「左派・右派のレッテルの単純さを信用しない中道的有権者たちの大規模集団」の支持を集めたからです。
 同じように、サッチャー首相が長年政権を維持したのも、保守党主流派と異なり、戦後の福祉国家路線を否定し、労働党に幻滅していた「左派・右派のレッテルの単純さを信用しない中道的有権者たちの大規模集団」に直接アプローチしたからです。
 民主党の課題も、日本の「左派・右派のレッテルの単純さを信用しない中道的有権者たちの大規模団」の支持を得られるかどうかということに集約されます。

2。政策のバックボーン

(1)社会の連帯を強め、政府への依存を減らす

 イギリスのブレアが政権を奪回するために打ち出した「第三の道」の基本コンセプトは「社会的公正と経済効率性の両立」です。私たち民主党も同じ哲学で政策を考えてきました。「経済的な安全保障と富の分配」だけではない「競争と富の創出」や、「がんばった人が報われる社会」への明確な政策転換は民主党の基本政策でした。

 私たちが政権担当時に推進した、教育や子育てを重視するチルドレンファースト、すべての市民に居場所と出番をもたらす「新しい公共」など消費者、納税者の立場に立った政策の流れは間違っていないと思います。

 最も重要なことは、社会の連帯(community solidarity)を強めるために市民の力を強くし、公益法人、NPOや地域の自治会、消防団など各種の中間団体を育てていくことです。

 ニール・ファーガソン教授が、イギリスやアメリカの市民社会の停滞の要因として、慈善団体などの中間団体の衰退をもたらした「国家の過剰なうぬぼれによる」政府の市民社会への侵害を指摘しています。

 新生民主党は「民間主導の取り組みを増やし、国家への依存を減らすこと」を目標にすべきです。

(2)「開放」か「閉鎖」か

 今の日本は、どうしても内向き志向になりがちな雰囲気があります。戦後、日本が発展を遂げていく過程では「国際化」が国を挙げての目標であったことと大きな違いです。

 国際的な政治や経済の構造が大きく変わろうとする今こそ、変化への柔軟な対応が求められていますから、私たちは、歯を食いしばって「開放」路線を選択しなければなりません。

 その判断をすれば、TPPや移民問題にも共通の方向性を見いだすことが可能になります。

 ブレアの「第三の道」も、グローバリゼーションを肯定しました。保護主義は合理的でないし、世界が分断される結果になるからです。そして、コスモポリタンで多文化主義の国家を目指しました。

 新生民主党は、経済、政治、文化などの面において、「開放」路線を選択すべきです。

日本の岐路を考えるー高坂正堯著「文明が衰亡するとき」

(高坂正堯著「文明が衰亡するとき」、新潮選書、1981年)

 このお正月の街頭演説の合間に、高坂正堯著「文明が衰亡するとき」を読み返しました。

 私が社会人になった翌年の1981年に出版され、私の持っている本は82年発行の初版12刷です。

 大蔵省の3年生になって経済理論研修を受けている時に読んだ記憶があります。

 その後、92年の12月に松下政経塾の勉強会で直接、高坂先生からお話をうかがう機会がありました。その時の先生の資料が本の間にはさんであったのを、今回発見して懐かしく思い出しました。

 ローマ、ヴェネツイア、アメリカを題材に「文明の衰亡の現象」をテーマに書かれた本です。

 ローマ、ヴェネツイアは既に衰亡した国ですし、ギボン著「ローマ帝国衰亡史」をはじめ先学の分析も多いです。また、近年では塩野七生さんの著書も文庫本で手軽に読めますから、衰亡の理由は語り尽くされている感があります。

 アメリカに関して高坂先生が分析した70年代は、ベトナム戦争の敗北以降アメリカが衰退していく過程でした。それでも、高坂先生は、このままアメリカが衰退していくことはなく、ローマ帝国がそうであったように、これからまだ何度も浮き沈みがあるだろううと的確に予想されています。

 また、この本の中で、ローマクラブの「成長の限界」レポートが大きく取り上げられているのも隔世の感があるとともに、40年経った今も同じ課題を突き付けられている不思議を感じます。

 高坂先生は、日本やヴェネツイアのような通商国家は「偽善」と「狡猾」に陥りやすく、変化に対する対応能力をが弱まる時が、衰頽の時であると結論づけています。

 17世紀のヴェネツイアが衰頽した理由は、成功したやり方を変えることができなかったこと、つまり守旧的性格が社会に蔓延したことだと。

 ガレー船を帆船に変えられなかったこと、地中海航路に固執しアフリカ回り航路に進出しなかったこと、高い賃金、重い税金やギルドの存在によって毛織物産業が国際競争力を失ったこと、すなわち「自由で開放的な体制から規制と保護の体制への変化、柔軟性の喪失と硬直化」が原因だと解説します。

 今の日本が陥りつつある状況によく似ています。

 アベノミクスやその背景にある自民党のバラマ財政体質には、高度経済成長の頃の日本への郷愁とこだわりが感じられます。

 2014年度予算案は、「いつか来た道」を再現しようとしています。

 安倍内閣の歴史認識も「古き良き時代」への復古主義以外の何ものでもないと思います。個人の思いとしてはともかく、政府の取るべき立場ではありません。

 人口が減少し、少子高齢化した21世紀の日本社会は、過去を振り返らず、新しい変化に柔軟に対応することを求められています。

 身の丈にあった社会保障制度の確立と規制を無くすための小さな政府の実現が重要です。そしてのことは財政再建によって、子どもや孫たちの負担を減らし、かれらの活力を生かす道につながります。

 高坂先生が今の日本をご覧になったとして、何とおっしゃるか?聞いてみたいと思います。

お正月の街頭活動

(日前宮門前での新年のごあいさつの様子。)

 毎年、元日は皇居で新年祝賀の義に参列。二日、三日は和歌山市内の「日前宮」(本当は日前神宮、国懸神宮)の鳥居前の路上で新年のごあいさつ。

 浪人中は元日も含め、三日間立っていましたが、現職になってからは、残念ながら二日間だけになりました。

 毎年立っていますので、同じ日に参られ、お目にかかる方が大勢おられます。

 「周平さん、今年も会えたね。がんばってよ。」と声をかけていただくと、また来年も立たなくちゃと思います。そのようにして7年間続けてきました。

(日前宮門前のにぎわい。)

 今年の三が日は東京も和歌山も暖かい街頭日和でした。この二日間、ポカポカ陽気のためホカロン要らずでした。

 昨日は、午前10時から午後4時まで、今日は午前9時から午後3時まで毎回6時間コースです。休憩なしでごあいさつします。

 食事はしませんが、いつもタイ焼きとかたこ焼きの差し入れをいただきますので、立ったままお昼ご飯代わりに食べさせてもらいます。

(日前宮鳥居前で記念撮影。朝一番に撮りました。すぐに人出で一杯になりますから、この場所では立てません。)

 今日は、午後1時から異業種交流会「にきん会」のメンバーと一緒に日前(ひのくま)神宮、国懸(くにかかす)神宮に初詣。両神宮は官幣大社で紀伊の国一の宮とされています。

 禰宜の紀さんが「にきん会」のメンバーでもあり、神宮の説明をいただきながら参拝させてもらいます。

 今年は、境内のえべっさんのご説明をいただきました。

 「市戎(いちえび)神社は、かつて境内の外にお祀りされていました。江戸時代の享保6年に境内に御遷座され日前宮の末社となりました。もともとこの社の近くで市が立ち非常に賑わったことから、次第に市のえべっさん・市えびすと呼ばれるようになり、たいそうな賑わいであったようです。和歌山市内では、東の宮と水門吹上神社のえべっさんが有名ですが、市戎神社も今再び売り出し中です。よろしくお願いします。」とのことです。宣伝しておきます!

(市戎の神社前で説明する紀禰宜さん)

 紀家は天皇家に次いで古い家柄です。天皇家には苗字が有りませんから、苗字のある家としては日本最古になります。

 日前宮に関して、司馬遼太郎の「街道をゆく (32) 阿波紀行、紀ノ川流域 」に詳しい記述があります。

 このブログにも何度も出てくる伊太祈曽神社、竃山神社、そして日前宮は和歌山の誇る古い神社で、初詣にこの三つの神社に参ることを「三社参り」と言って、大勢の善男善女が参られます。

 なので、お正月の三が日は、日前宮の前で立礼しますと和歌山中の皆さんにごあいさつができるという次第です。来年もよろしくお願いします。

(昨日、皇居でいただいたおせち料理)
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