衆議院議員 岸本周平 Shuhei Kisimoto Official Website

2013年06月

スナーダイクマエ絵画展

(スナーダイクマエ絵画展にて、メアス博子さんと)

 スナーダイクマエ絵画展に行ってきました。

 昨年の絵画展と同じくフォルテワジマの2F展示場で開催されています。

 午前10時から午後5時までで、明日の日曜日まで、やってます。

 和歌山で開催するのは3年目。大勢の皆さんが応援しています。

 海南市出身のメアス博子さんは、「やっぱり故郷は良いですね。皆さん、たくさんの絵を買ってくださる。」と喜んでおられました。

 今年は、7月3日から7日まで東京、日本アセアンセンターで、7月12日から14日まで名古屋、妙香園で、8月2日から4日には神戸、甲南大学甲友会館で絵画展を開催します。

 東京での絵画展の内、6日と7日は、日カンボジア友好60周年記念事業として、「第2回カンボジアフェスタ」としてのイベントも兼ねるそうです。

 絵画展での絵やTシャツの売り上げは、孤児院運営の財源の一部になります。

(買わせていただいたソムライさんの作品。元気が出ますね。)

 「スナーダイ・クマエ」 とは「カンボジア人の手によるもの」という意味です。 1998年にカンボジア内務省登録の児童養護施設となりました。 管理・運営をカンボジア人によって行ってゆくことを目指しています。 団体代表はメアス博子さん。カンボジア人スタッフが、今5名で、児童数は2012年10月現在で、21名です。

 メアス博子さんは、小柄なやさしい方ですが、カンボジアの肝っ玉母さんです。

 日本の女性は世界中で輝いています。メアス博子さんが和歌山県出身だということが誇りに思えます。

 だから、和歌山での応援団が増え続けているのでしょうね。これからも応援します!!



 

野村萬斎狂言会

(終演後、野村萬斎さんを囲む和歌の浦万葉薪能の会のスタッフ一同。)

今日は、和歌山県民文化会館大ホールにて、野村萬斎狂言会。

 主催は、和歌の浦万葉薪能の会。設立15周年の記念事業です。5年前の10周年の時にも萬斎さんに出演いただきました。

 題目は、「萩大名(はぎだいみょう)」と「棒縛(ぼうしばり)」。

 「萩大名(はぎだいみょう)」は、こんなストーリーです。

 訴訟のため永らく京の都にいた田舎大名は、訴訟も無事に済み近々帰国の予定。都のみやげ話に観光に出掛けようと太郎冠者に相談します。太郎冠者は、「宮城野の萩」が盛りの庭見物を提案。しかし、その庭の持ち主は大の当座好き(=即興の和歌を詠むこと)で、見物客に和歌を所望します。歌を詠んだことのない大名に、太郎冠者は扇を使って、和歌の「カンニング法」を教えます。大名と太郎冠者とのとの滑稽なやりとりが見ものです。

 「棒縛(ぼうしばり)」。の方はと言えば。

 太郎冠者・次郎冠者の二人の召し使いは主人が留守の間に酒を盗んで飲む悪い癖があります。主人は一計を案じ、太郎冠者は後ろに手を縛り上げ、次郎冠者は長い棒に両手をくくりつけます。不自由な身の上になっても必死になって、酒蔵の戸を開けた二人は酒壺を目の前にし、苦心しながら、縛られた手でお互いに酒を飲ませ合います。酔っ払った二人は、飲めや謡えやの大騒ぎ。その最中に戻って来た主人は、賑やかな酒宴を見つけて腹を立て、二人を追いかけ回します。


 冒頭、萬斎さんから、狂言や演目について親切な解説がありました。それはていねいに、30分ほど説明をいただきました。

 そのかいあって、客席は爆笑のウズ。

 600年続く狂言のパワーと、何よりライブの素晴らしさを感じました。ご来場いただいた皆さま、有難うございました。

 今年の10月13日(日)には、午後4時半から、片男波公園野外ステージにて、喜多流能「経政(つねまさ)」と大蔵流狂言「二人袴」をお見せします。お誘い合わせの上、お越しください。

立憲主義について考える

(長谷部恭男著「憲法と平和を問いなおす」、2004年4月、ちくま新書)

 今日は、憲法を考える時に、最も大事な「立憲主義」について書いてみます。

 立憲主義とは、「人民主権とそれにもとづく代表民主制」を指すこともありますが、基本的には、「権力の分立や個人の基本的人権の尊重を通じた国家権力の制限」のことを言います。

 「立憲主義」という言葉は、現在はあまり使われません。

 おそらく、戦後、第1の意味の「国民主権」による民主主義が普及したから、「国家権力の制限」のことは考えなくてもよい、、、と考えられるようになったからでしょう。

 前の通常国会の衆議院予算員会でも、安倍総理は「立憲主義は王様の権力をしばるためのもので、民主主義の国、日本では必要ではない」旨の答弁をされていますが、これは浅はかな理解としか言えません。

 まず、戦争前の帝国議会では、「立憲主義」は常識でした。

 帝国憲法の創設者である伊藤博文首相は、「憲法を創設するの精神」は「第一君権を制限し。第二臣民の権利を保護するにあり」と説明しています。1789年のフランス人権宣言第16条「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は憲法を持つものでない。」そのものです。

 この時、権利条項不要論を述べた森有礼文部大臣は、「天賦人権説」にもとづき、憲法に書かなくとも臣民は権利をすでに持っているとする先進的な立論をしています。

 今の憲法論争に比べても、レベルが相当高い議論が行われていたのですね。

 また、帝国議会の二大政党は「立憲政友会」と「立憲民政党」でした。どちらも「立憲」がついています。

 国家権力を制限するという意識は憲法の要だったのです。

 では、戦後の国民主権の日本では、国家権力の制限は不要でしょうか?

 とんでもないことです。

 ヒトラーはワイマール憲法の下で、民主的に選ばれました。ですから、今のドイツ憲法では、「憲法の敵には、憲法上の権利を保障しない」ことになっています。

 民主主義だから、多数決で何でも決めて良いわけではありません。国民主権の下でも、民主主義がより良く機能するために、「国民があらかじめ自分の手をしばっておく」ことが重要なのです。

 ですから、憲法の改正は単純多数決では行えないようになっています。これを「硬性憲法」と言います。

 今、憲法第96条を変えて、議員の三分の二の賛成を改正の発議要件とするのを緩めようとの議論があります。

 以上のような立憲主義の考え方からすれば、要件緩和はありえないことだと思います。

 憲法学からは、改正規定は改正できないのではないかという学説もあります。

 世論調査でも国民の大勢は96条改正には反対となっています。さすがに、帝国憲法以来の立憲主義の遺伝子が残っているものと安心します。
 

基本的人権について考える

(樋口洋一著「いま、『憲法改正』をどう考えるか―「戦後日本」を「保守」することの意味」、「2013年5月、岩波書店)


 今日で、150日間続いた通常国会が閉幕。

 私は、予算委員会と経済産業員会に所属し、本会議も含めて何度も質問の機会をいただき、充実した国会活動ができました。

 特に、マイナンバー法案は、民主党の実務責任者として、与野党の修正協議を成し遂げた上、成立できましたし、介護従事者等の処遇改善を目指す議員立法も提出しました。立法府の一員としてまさに、law maker の役割を果たせたと自負しています。

 最終日に、私も関わった電気事業法改正案が与野党の政局的な動きで廃案になったことは残念でなりません。責任野党としては、どうしても通したい法案でしたが、自民党のしたたかな法案つぶしの動きに乗せられてしまいました。反省しきりです。(詳細は、「時効」になってからご報告します。)

 そして、参議院選挙です。私は、冒険主義であるアベノミクスについては結果がすべてだと考えていますので、今、批判する必要はないと考えています。日本経済にとって、確かにリスクはありますが、成功してくれたら有難いではないですか。

 むしろ、自民党の憲法「改正草案」(2012年4月27日決定)の問題点こそ争点にすべきだと思います。

 私が、法学部で芦部信喜教授から学んだ憲法学の通説や国際標準からあまりにもかけ離れているからです。

 現行憲法の前文には天賦人権説に基づく「人類普遍の原理」がうたわれています。

 つまり、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」という部分です。

 自民党案は、この「人類普遍の原理」をあえて削除しています。

 1689年のイングランド革命での「権利章典」や1776年アメリカ独立宣言、1789年のフランス革命の「人および市民の諸権利の宣言」などの人類の長年の努力と英知に連なる原理を否定しているのです。

 その結果、現行憲法で最も重要な条文とされている第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」 という条文の「個人」を「人」に変えています。

 日本近代の歴史の中で、「個人」という問題性が大きかったことを樋口陽一教授は次のように示しています。

 「100年前の法制官僚小野梓は、『独立自治の良民を以て組織するの社会』は『一団の家族を以て其基礎とする社会』ではなく、『衆一箇人を以て基礎となす社会』でなければならぬとしている。」と。

 そして、現行憲法が国民を「個人」として尊重した結果、農地解放ができ、労働基本権が認められ、男女の平等が制度化されたのです。

 小林節教授は「『個人』ということは、一人ひとりの個性が尊重される。人と違っていてもかまわない。基本的に誰でも、『人としての尊厳』を最重視されるということだ。」(「白熱講義!日本国憲法改正」、2013年4月、ベスト新書」と改正案を否定しています。

 あえて、「個人」を「人」に変える意味がわかりません。

 さらに、自民党案は憲法第97条を削除しています。条文を示します。

 憲法第10章 最高法規第97条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 「過去幾多の試練に堪へ」というのは、いかにも情緒的ですが、かえって、格調を高めているように思います。

 この条文を削除するということは、あくまでも「基本的人権」をないがしろにするということです。

 そして、最も重要な第13条の「基本的人権」を「公益及び公の秩序に」反する場合には尊重しなくても良いと改正しようとしています。

 現行の条文はで、それは「公共の福祉に」反する場合となります。「公共の福祉」については判例が積み重なり、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものと解釈されています。

 これを「公益及び公の秩序」とすれば、広範囲に基本的人権の制限が可能になります。「公の秩序」には明治憲法の「安寧秩序」と同じニュアンスを感じます。

 そして、自民党案では第13条だけではなく、第21条の表現の自由や、第29条の財産権も「公益及び公の秩序」によって制限されるようになっています。

 なぜ、基本的人権を軽視し、人類普遍の原理を否定するのか、私にはどうしても理解できません。

それでも、週末の活動は続く、、、。

(2013フリースタイル全日本選手権シリーズ第3戦和歌山大会でごあいさつする岸本周平)

 参議院選挙の和歌山選挙区の候補者擁立断念という厳しい局面の中で、それでも、週末の地元活動には真正面から向き合いました。

 日本ジェットスポーツ連盟主催の「フリースタイル全日本選手権シリーズ第3戦」は毎年和歌山市のマリーナシティで大会が行われます。

 和歌山県マリンスポーツ連盟の共催で、私は、毎年参加させていただいています。

 マリンスポーツのだいご味が味わえる貴重な機会です。

(日本チャンピオンによる模範演技)

 また、街頭演説の合間には、ミニ集会もさせてもらいます。

 国会開催中は、金帰月来のスケジュールの中で、どうしても地域の応援団の皆さんにお目にかかる時間が少なくなります。

 「最近、顔見せないねえ、、、周平さん。」と言われるのが、一番つらいです。

 今週末は、国政方向や私の近況報告、参議院選挙の候補者選びのてん末など、身近に報告する場をいただきました。

 厳しい、ご質問、叱咤激励、をいただき、冷や汗、あぶら汗をかきました。

 それでも、今後の活動を見守っていただける応援団の皆さまには心から感謝しています。

(和歌山市四箇郷【シカゴ】の応援団の皆さまに集まってもらいました。)

 私もメンバーの和歌山文化協会の毎年恒例「花のきらめき展」にも顔を出しました。

 主催は華道部です。6月21日(金)から、23日(日)までの三日間。華やかな会場でホッと一息。

 お抹茶とお菓子でリフレッシュさせてもらいました。有難うございました。

(和歌山文化協会中森慶甫事務局長さんの作品です。)
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